江戸時代に房総から江戸に上るのに三つのルートがあった。まず北総からは、銚子から佐原に出て利根川の船便を使い関宿を経て浦安に至るルート。
東総では、一宮から長南城下にいたり鶴舞・千葉城下から市川・甲府台に至るルート。さらに大喜鶴舞城を経て久留里城経由木更津港に出て五大力船で品川着のルート。
これらとは別に東金~千葉~浦安~江戸城へ続く“徳川将軍家の鷹狩り”用の「おなり街道」もあったが、一般の庶民・旅人が使うことの出来ない専用ルートだった。
筆者の属する“ふわくハイキングサークル”は、房総にこだわる会として、“古道歩き”を今後の例会に取り入れてみたいと考えた。
たとえば「江戸道」、源頼朝が安房から清和郷~万里谷~千葉城~国府台を経て再起を図った「鎌倉道」、日蓮上人が布教に使った「日蓮道」などを小刻みに分けて歩いてみたい。
第一回として、先の11月4日に大喜多の紙敷集落から伊藤大山~市原市の月出までの江戸道を歩いてみた。このコースは樹林の街道あり、馬の水飲み場跡あり、石造りの道標あり、道祖神ありで、ほとんど登り下りのない平坦な山道(昔の街道は山頂を避けて旅人が楽に歩けるように工夫した)で、しみじみとした歩きを楽しめた。
ただこの江戸道は、市原市と大喜多町との境に連なる山々の背後に開かれた路だけに、両側の谷下に点在する民家から登ってきて街道に合流できるように、途中に何本もの枝路がある。踏み込まないようにする気遣いが必要だ。
また、この中間点にある「棒杭(ぼんぎ)」集落の十字路には石造りの立派な案内標識が建てられている。これは文化財として保存したいくらい価値のあるものなので、ゆっくり時間をとって見学しよう。この標識の隣に住む郷土歴家の安藤満さんは、石像物の保存をされておられ、伝えられる歴史-歩き競馬の馬場跡や茶店跡、ローソクと提灯店跡、馬喰詰処跡などの歴史についての知識も豊富であられる。一声おかけしてお話を伺ってみたら… それだけでも甲斐がある。
この場所から月出の集落までの道は、江戸道が拡張されたもので、舗装され、自動車も通行しているが、所々から万田野の山並みが望め、振り返れば歩いてきた伊藤大山の山頂(アンテナが建っていて識別できる)も見える。月出集落手前の高台には、地元の人たちが手作りした展望台がある。ここから、笠森の森や太東岬まで見渡せる。
いずみ鉄道・西畑駅-(2:00)-紙敷トンネル-(0:10)-江戸道-(1:30)-棒杭-(0:50)-展望台-(0.10)-月出小学校
- いずみ鉄道はおとぎ話のような列車
- 江戸道への入り口
- 紙敷トンネルの入り口左側の踏み跡を急登すれば50mほどで江戸道に。
- トンネルを出ると右側に炭焼き小屋がある。ここから急登しても50mほどで江戸道に合流。
(記 – ふわくHC鵜沢さん)